2004/10/23 その時何が起こったか? (13th October, 2004 What happened?)


地震当日からの回顧

2004年10月23日土曜日夕方5時56分,あの激しい揺れが私のいる新潟県長岡市を襲いました.私はその日,約3ヶ月前に起こった7.13新潟水害の調査報告を7階の研究室でまとめていました.忙しくて,昼食も食べていなかったので,そろそろ学食で夕食を食べようと思っていたときでした.いきなりかなり強い初期微動を感じました."これは!"と思った瞬間,ものすごい主要動が到達しました.椅子からは立ち上がりましたが,体を踏ん張っているのがやっとで,何も出来ませんでした.何が起こっているのかも理解できていなかったと思います.棚から物がバラバラ落ちてきて,電気も切れて真っ暗になってしまいました.揺れがおさまり,ようやく"これは地震だったのでは?"と理解できました.まず,つけていたガスファンヒーターを見ましたが,揺れか物が落ちたショックか自動的に止まっていました.真っ暗で足元に物が散乱して,歩くのも大変でした.どこかに懐中電灯を置いてあったなと思い,探し始めました.そうこうしているうちに,また激しい揺れが襲ってきました.揺れている間は,"えっ,なんで!"と信じられず,体を踏ん張っているのがやっとでした.揺れがおさまって,"これは逃げねば!"と,サンダルのまま(靴は物に埋もれてどこにあるのかわかりません)作業着を羽織って部屋の外へ飛び出しました.部屋の中に物が落ちていたので,ドアも人が通れるほどの隙間しか開きませんでした.他の人も外へ飛び出しており,周りに閉じこめられた人がいないか確認して,薄明かりの廊下と階段を下りて,駐車場に避難しました.駐車場には30名程度の人が集まっていました.携帯も全く繋がらないようでした.誰かが車のラジオをつけ,震源は小千谷だと情報が入りました.駐車場に避難している間も,何度も大きな揺れが襲い,悲鳴をあげ座り込んでしまう人も多数いました.

私は,家のカギや財布も7階の研究室におきっぱなしで,家に帰ることも出来ません.1時間ほどたった頃でしょうか,電気も回復しそうにないので,何とか懐中電灯を手に入れねばと思い,学生の携帯電話(私は携帯電話を持っていません)で照らしながら1階の実験室から懐中電灯をゲットしました.ただ,揺れは続いており,とても7階まで行く勇気はありませんでした.8時半をまわると駐車場の人もほとんどいなくなってきました.仕方ないので,勇気を出して7階の研究室に登っていきました.部屋は私が飛び出した時より,さらに大きく乱れていました.パソコンのディスプレイももう少しで机から落ちてしまいそうでした.パソコンを机の中央に直し,靴,カギ,財布を見つけて,逃げるように部屋を去りました.学生は私が懐中電灯で照らして部屋を探しまわっているのを駐車場から見て笑っていたそうです.ひどいですね!

カギを手に入れたので,自慢のMTBで家へ向かいました.途中コンビニの前を通りましたが,停電で真っ暗にもかかわらず,営業しているみたいで,人でいっぱいでした.私はこの日何も食べていなかったので,何かお腹な入れておかないと体力が続かないと思い,コンビニに立ち寄りました.おにぎりやパンなど直ぐに食べられるものはすべて売り切れていました.学食で食べた後に地震がくればよかったのにと恨めしく思いました.電子レンジで温めるスパゲッティが残っていましたので買って帰りました.コンビニのレジでは懐中電灯と電卓を使っての営業でした.でも助かりました.感謝です.

家へ帰るとみんな車の中に避難していました.私は避難する車がありませんでしたので,寒さを凌ぐため家の中に入りました.家の中も物が散乱していました.家からで電話してみると簡単に繋がり,実家に無事であることを伝えました.停電で電子レンジは使えないので,冷たく固まったままのスパゲティを食べました.美味しくなかったですね.テレビで情報を得ることも出来ないので,寝るしかありません.いつでも飛び出せるように服を着たまま寝ました.寝ている間も揺れで何度も起こされました.

次の日の朝,明るくなってすぐ(6時過ぎ)に家を出て,研究室に行きました.一人暮らしの家より研究室の方が心配でした.散らかった部屋を見てどうやって片付けようか,呆然としていると,急に電話が鳴りました.まだ朝の7時です.誰だ?と思い,なんとか物を乗り越え,電話を取ってみると東大の東畑先生でした.この電話を最後に,大学は3日間電話が不通になりました.東畑先生からは,大変だろうけど,こんな機会は滅多にない,すぐに調査に動けと激励?を頂きました.携帯電話がないので,家の電話を教えておきました.こちらは被災者で食べるものにも苦労している状態で,ましてテレビも付かないので地元にいても情報がほとんどない!とても調査なんてする気になれませんでした.とりあえずその日は,1日中片付けをしていました.

5時くらいになると暗くて何も出来なくなるので,仕方なく家に帰ります.家に帰る途中にコンビニによると,大量に仕入れられたおにぎりがありました.うれしかったです.帰って早速食べましたが,寒いので暖かいものもが欲しかったですね.夜には東畑先生から電話で,懐中電灯で照らしながら,テレビの情報をメモしました.また,火曜日こちらの来る予定だと伺いました.暗くなると寝て,明るくなると起きる,いつまでこんな生活が続くのかと思いました.

月曜の朝,研究室の片付けをしていると,色々な方が調査に入ってきているという情報が入ってきました.私も動かないわけにはいかないと,午後からは被災現場をまわってみました.夕方にいつものコンビニに寄ってみると,今日は全く品物がない!仕方なくお菓子を買い込んで家に帰りました.1日1食の食事がお菓子なんて...東畑先生と電話で明日の調査打合せをして寝ました.夜の10時くらいに目が覚めると,なんと部屋の明かりがついている.うれしかったですね.テレビを夜中の2時過ぎまで見て,被害の大きさを実感しました.水道はまだ止まったままでしたが,朝には出るようになっていました.

次の日の早朝,急いで大学に行くも,電気はまだ止まったままでした.パソコンがつけられず,がっくりしました.その後,東北大の仙頭先生が来られ,一緒に調査に出ました.午後からは東畑先生も合流しました.次の日も同じメンバーで調査に出ましたが,東畑先生の勧めで,調査メンバーと一緒に新潟のホテルに宿泊しました.地震後はじめて温かいお風呂に入り,余震のない状態でゆっくり寝られました.

研究室

Niigata1024101 Niigata1024102
研究室
No. 1
時計
No. 2
  1. 24日の朝の研究室です.ただでさえ散らかっている部屋がますます...
  2. 片づけていると時計が出てきました.この時計ちょっと進んでいましたから,どうやら6時11分の震度6強の時に,机から落ちて止まったようです.


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